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『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』要約と書評

この記事では、2020年12月現在、台湾の蔡英文政権にてデジタル担当政務委員を務める、オードリー・タン(唐鳳,Audrey Tang,1981-)の初の自著を紹介します。

オードリー・タン著,『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』,プレジデント社,2020年12月初版

 

IQ180、本を1ページを0.2秒で読む、19歳でシリコンバレーで起業した、など、そのプロフィールは常識を逸していることで有名です。コロナ禍ではマスク・マップを構築するプロジェクトで中心的な役割を果たしたことで注目が集まりました。本書は、そんな彼女が政治やAIなどのテーマについて語る内容となっています。

本記事ではオードリー・タンの思想、台湾政治とソーシャルイノベーション、教育という3つのテーマについて要約します。

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オードリー・タンの思想

彼女は柄谷行人の思想に強い興味を持っているそうです。柄谷行人は、生産様式ではなく、交換モデルという概念を用いて政治経済を論じます。柄谷の提唱する「交換モデルX」とは、一言で「互酬を高次で回復するもの」です。すなわち、不特定多数の人々を対象としつつ、家族内交換と同じく見返りを求めないような、そんな交換モデルです。交換モデルXには、資本主義では叶わなかった自由と平等と友愛という価値を体現できることが期待されます。現在はこの交換様式による経済は確立されておらず、オードリー・タンはこれをデジタル上で実現できないか、興味があるそうです。彼女にとってデジタル空間は、未来のあらゆる可能性を考えるための実験場所であるといいます。

オードリー・タンは、よく「保守的な無政府主義者」と言われますが、これは少し語弊があるといいます。「保守」には他の人が新しい物事を試すことを許さないという解釈もあり、それは彼女の思想には当てはまりません。正確には中国語の「持主」に近いといいます。これは「堅持するのに値する何かを守る」という意味です。また、無政府主義というのはアナーキストからの直訳だと思われますが、これも語弊があります。命令などの強制力がないことが重要だといいます。強制力を伴う主従関係は様々な場所に存在し得るので、これは政治に限らない姿勢です。権威主義や上から目線からの命令にも反対します。

彼女はこれ以上の強い政治的意見があるわけではなく、どちらかと言えば人と人の交流を円滑にすることに興味があり、政治家としてもこれを仕事にしています。すなわち、行政院下の省庁間や、官・民の垣根、人と人の壁を超えて「共通の価値観を見つけ出す」のが彼女の役割です。人々が互いに語り合える場をオンライン上で提供することは、この一環だそうです。

 

台湾政治とソーシャル・イノベーション

台湾の民主主義の先進性を挙げることができるといいます。一つは、民主主義の歴史が浅いことに関係しています。1996年の初の総統選挙の際に、すでにインターネットがありました。それゆえ、台湾では民主主義に決まった形がないという認識があります。そして、2014年のひまわり学生運動でサービス貿易協定を拒否した経験から、台湾の国民は民主主義に自信を持つことができました。憲法に「政治への直接参加の精神」が謳われていることもそれを裏付けています。すなわち、民主主義はテクノロジーにすぎず、常にアップデートしていくものだという認識が根付いています。そしてインターネットは間接民主主義の弱点を克服できるのです。また、李登輝政権時代より、台湾は国際社会へ貢献することを目標として掲げることが共通認識となっています。上記のこれらの価値観は、四大政党で共通しているといいます。

 

台湾政府はオープンガバメントを推進しています。例えば、オードリー・タンは2014年に「vTaiwan」、2016年に「Join」というプラットフォームを構築しました。これはパブリック・オピニオンを募るための仕組みです。同様に、PDIS(パブリック・デジタル・イノベーション・スペース、Public Digital Innovation Space)とPO(Participation Officers、解放政府連絡人)という二つの職務があります。これらは、人々に「傾聴」し、政府と、外交部や財政部などの各部会への橋渡しをすることが期待される役職です。問題を聞くという活動は、物事の核心に迫り、共に新しいものを作って解決方法を模索しようとするものです。PDISとPOの仕組みにより、立法委員に知り合いもいない人や何もツテもない人が問題を解決できるポストにいる人間との接点を作ることができ、また発起人が提唱する考えをより多くの人に知ってもらうことができます。これらの一連の仕組みは、実際に政策に結びついた実績が多数あります。

 

デジタル民主主義の問題点として、「インクルージョン」と「説明責任」を取り上げることができます。デジタル技術について行けない人々を置いていってしまう危険性と、AIの判断に盲従するような危険性です。しかし、「すべての人の意見を一人が代弁し、この人が言うなら仕方がない」という状況が危険を生むことは、デジタル技術の発達以前から変わっていません。こうした問題は昔からあるのです。

インクルージョンは台湾政治ではとても大事にされています。例えば、同性婚について世論が真っ二つに割れたときがありましたが、各世代の持っている価値観のどれも犠牲にしないような形で解決策が示されました。すなわち、個人間には婚姻関係は成立し、家族間には成立しないという形で決着したのです。その後、同性婚への寛容度は統計的に上がっています。結局、そんな大した問題ではないとみんなが気づいたのだといいます。少数のための設計が全員に役立つこともあります。例えば車椅子利用者のための施設を、明日あなたが怪我をして使うことになるかもしれません。街づくりという観点では、軽度の知的障害者に優しい形にすることが大事です。軽度の知的障害者が街に出られず引きこもってしまえば、中度、重度へと症状が悪化してしまいます。街づくりに限らず、進歩する可能性はどこにでもあります。80点を、どこに不足があるか考えるのが重要です。完全ではないからと壊してしまうのは得策ではありません。

説明責任とは、キーワードと、実際に発生した事実をブリッジすることです。これは責任者の仕事です。AIは、実際には人間の補助をするものだというのが正確です(Assistive Intelligence)。オードリー・タンは、寝る前に読み込んだ資料を眠っている間に頭の中で整理し、起きた時に重要なキーワードを無意識に取り出すという技能を持っているそうです。この自身の睡眠中の働きはディープラーニングと似ているところがあるといいます。最終的に夢から出てきたキーワードは、事実関係と結びつけ、他人へ説明する必要があります。AIが出したラベルも同様で、説明責任は人間にあります。

2045年にシンギュラリティーが来るという説もありますが、似たような終末論は過去にもありました。大事なのは、終末が来た時にどうするか考えるのではなく、人類はどの方向へ進みたいのかを考えることです。

 

デジタル・イノベーションにおいては3つの旗を掲げることが重要だといいます。

一つは、繰り返しになりますが「インクルージョン」です。これを達成するため、プログラマーは使用者に寄り添うことを心掛けるべきだといいます。若者の男性に偏っている集団の中だけで開発するのではなく、現場に出て属性の異なる人々の声を聞くことで、良いサービスを生み出せます。その例として、コロナ禍で開発されたマスクの購入アプリがあります。小さな声を拾い上げることで、視覚障害者にも使いやすいデザインにアップデートしました。コロナ後の経済政策として実施された「振興三倍券」は、紙とデジタルの両方で実施されました。一般に、まずはデジタルに疎い人々が使えるようにし、その後、より便利に改良するという順番が大切だといいます。

二つめは「イノベーション」です。これは新しい技術によって既存の社会構造を変化させるという意味だけではありません。私たちの社会が持つ異なる可能性に想像を働かせることを後押ししてくれるのです。

三つめは「持続可能な発展」です。次世代の環境が私たちの技術で破壊されてしまっては意味がありません。

大陸のように、全員を監視カメラで管理する社会も作ることはできます。デジタル技術を取り入れる際に、先に上記のこれらの価値観を根付かせることが大事です。

AIで人の仕事がなくなることはありません。重複度が高い部分については、AIや機械に任せるようになるという話です。人は、AIの発達で、よりクリエイティブになります。

 

教育

オードリー・タンは、振り返ると、父親から「クリティカルシンキング」を、母親から「クリエイティブシンキング」を学んだといいます。

クリティカルシンキングは単に相手を批判することではありません。自分の思考に対して「証拠に基づき論理的かつ偏りなくとらえるとともに、推論過程を意識的に吟味する反省的な思考方法」であり、要するに物事をクリアにとらえるための思考方法です。クリエイティブシンキングは「既存の型や分類にとらわれずに自分の方向性を見つけていく」思考法です。

これらの思考法を基盤として、デジタル社会で求められる3つの素養をあげることができます。

一つは「自発性」です。これは、問題に直面した際に逃げずに解決する努力をすることを指します。

二つめは「相互理解」です。これは、自分と異なる考えを持つ人との接触を恐れないということです。

三つめは「共好」です。これは、双方の価値観を念頭に、共通して受け入れられる価値観を探しながら共同で作業をする相互理解のプロセスです。

 

目下、プログラミング教育が盛んです。しかし、本人が興味のないプログラミング言語を教えることは意味がありません。プログラミング思考は、広く「コンピュータ思考」の一つだと言えます。コンピュータ思考はアート思考やデザイン思考を含みます。プログラミング思考では、問題を小さなステップに分解します。そしてそれぞれを既存のプログラムや機器を用いて解決します。アート思考は、既存の可能性に囚われないようにするために重要になります。アートとは、自分の見た未来のある部分を他人に見せ、これにより未来の可能性を開こうとするものです。

これらのリテラシーは、物事をどのように見るか、大規模で複雑な問題をどう分析するか、という、問題解決の方法の土台なのです。

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書評など

オードリー・タンの思想は、政治思想の枠組みでは非常にニュートラルであると言えると思います。アナーキストと言うと語弊があることがわかります。

「説明責任」の意味を「責任者が明快な答えを出す」と言い換えている箇所(P.141)は少し勿体無いと思いました。大事なのは説明の中身でしょう。大筋では、漸進的な改良を可謬主義に基づいて行うスタンスを重視しており、非常に共感が持てます。

台湾も中国大陸も、いずれもコロナ対応で成功した例だと言えますが、デジタル技術の使い方は異なります。日本では医療関係者のインフルエンサーの中にも「台湾はGPSで監視しているから上手くいったが日本ではそれはできない」といった誤った事実認識に基づいた意見が見られます。プライバシーとデジタル技術については、台湾の方が進んだ議論をしている可能性を念頭に置くべきだろうと思います。また、一般に、デザイン思考の行政での実践は、その重要性が認知されていながら、なかなか取り組まれるのに壁があるように感じます。台湾はそうした面で先進例のようです。日本が台湾に学べる点は非常にたくさんあるように思えました。

上の要約には入れませんでしたが、原子力技術(台湾では再稼働を求める住民投票が行われるなど、世論が割れています)についてのスタンスや、日本と台湾の関係についても言及がありました。万人へおすすめしたい一冊です。

 

参考

EETimes「台湾の「電子フェンス」:携帯の電波のみで自宅待機者を追跡」 2020年07月03日 https://eetimes.jp/ee/articles/2007/03/news029.html